日本軍がレイテ島での敗戦、硫黄島での激戦にあえぐ昭和19年ごろ、父は陸軍将校として大阪造幣局詰めの任務についていた。戦局の雲行きが怪しくなった国内では金属の徴収が国を挙げておこなわれていた時でもある。
奈良県の談山神社は古く平城京時代から由緒ある処で、特に刀剣類は国内でも屈指の所蔵を誇っていたらしい。命を受けた父は、金属調達のためこの神社に行き日本軍発行の小切手と引き換えに多数の刀剣を造幣局に持ちかえったっとのことである。今、墓の主となっている父親に、当時の詳細を確かめる術はないが、持ち帰った刀剣の中に銘ある業物と聞いていた一振りを、父は一ヶ月分の給料と引き換えに軍から払い下げてもらったようである。
この業物は、南北朝時代から鎌倉初期の太刀で、刀匠「宇田国宗」の銘が差し表にある。当時は馬上の戦いが主で、刀身の反りは2センチとすこし大きい。見れば少し研ぎ痩せがあり、実戦で使われたようである。実家に戻り、月に一度は打ち粉、引き油などで手入れを欠かす事はなく、先祖の供養と対峙するこの時間は何物にも変えがたい一つである。
GR-D